part time job


大学時代にいろいろとバイトをやりました
目的は上位からこんな感じです

@生活費・交際費
A車校代
B単車の購入と、その維持
C英会話学校費


ちなみに@の割合が群を抜いているのは言うまでもありません
職種は満遍なく10種類


@・ラーメン屋店員 … 3年
A・塾講師 … 3ヶ月
B・ゆうメイト(年賀状) … 1シーズン
C・駐車場誘導 … 2日
D・ガソリンスタンド … 1日
E・ショッピングセンター臨時スタッフ … 2日
F・柿の集配荷 … 1シーズン
G・コンビニ店員 … 3年
H・家庭教師 … 3ヶ月
I・図書館カウンター係 … 2年


総獲得金額/総バイト時間 = 約300万円/約2500時間
(カウント期間:1997.4〜2001.3)


割のいいものから、ムカついて一日で辞めたものまで様々です





@・ラーメン屋店員 … 3年

私の初バイトは、近所のラーメン屋だった
その当時、あそこは厳しいからやめたほうがいいという話をよく聞いた
だが残念ながら近所で顔見知りということで、スカウトという名の強制連行により私は店員になった

店長は声の通る、そして私によく似た人だ
よく常連客に兄弟と間違われたものだ(もちろん私が弟)

バイト初日に、店長はひとつだけアドバイスをくれた、「声を出せ」
正直に、大声で「おはようございます!」とキッチンに入ると、
「ようこそ」とアッキーが暖かく迎えてくれた

噂通り内容は厳しく、声、スピード、礼儀、どれがかけてもビシバシ注意が飛んだ
ただそれはすべて理にかなっていて、ここで仕込まれたことは今後のバイトライフの大きな糧になった

アッキーはチャーハン作りの名人だ
彼が作ると、鍋の中でチャーハンは踊り、パサっとした香り立つチャーハンが出来た
私は技を盗もうとキッチン(皿洗い)の時はよく観察したが、結局盗むことなく辞めた

アッキーは気が短い、ちんたらしてると檄が飛ぶ
ある日、いつも交代で食べる夕飯賄いで言われた
私は行けと言われて「まだいいです」と遠慮していたら、「食えるときに食え!」と逆に怒られてしまった
アッキーにはスタッフと客の動きが見えていたのだ


「食えるときに食う」、このバイトでの一番の名言


バイト代は主としてコンポ、バイク免許&車体の資金に消えた
色々厳しかったが、今思えば一番最初のバイトがここでよかった


総勤務期間:約3年(足掛け)
獲得金額 :約80万円





A・塾講師 … 約3ヶ月

岐阜での一人暮らしも軌道に乗りかけ、アルバイトをする余裕が出始めた
連休で実家に帰っているときはラーメン屋があるが、1年通せば岐阜にいる時間の方が長いので、やっぱりこっちでも働き口がほしい
私は早速学生課に行き、アルバイト求人のファイルを繰った

ラーメン屋で接客業の楽しさを覚えたので同業種を探したが、生憎ない
岐阜市のはずれともなれば、そんな店の数は知れている
仕方なく、学歴を利用して塾講師をやることにした


塾といえば私の中では、中学時代のおそがい先生と、江田島平八
さすがにこんなのばかりではないだろうと門をたたくと、そこにはその両方を足したような塾長がいた
ポマードを頭がハエ取紙ぐらいになるまで塗って固め、色眼鏡かけた強面のおっさんだ

(まずいとこきちゃったなあ)
と思うが、割と楽しそうに塾に来ている子供たちを見ていて
(いっちょやってみるか)
という気になった

私は客の笑顔が見られる職場であればそれだけでよかったのだ

初日、私は中2のクラスを持った
教科は理科、まずまず得意分野
ちょうど生物関係の授業内容だったので、私は得意の海の魚の話をした
嬉々として私を見つめる生徒の目が、脱線する私をさらに脱線させた

塾長登場、私は事務所に連れてかれ警告1
その時から、私は他室のパソコン実習部屋に回された


私は憤りを感じた、なぜ失敗を挽回させてもらえないのだ?


いきなりブーたれても仕方ないので、しぶしぶ私はそのパソコン自習部屋の守をすることにした
その部屋ではパソコン(当時はまだ珍しい)を使った自習をするものである
生徒は作業ロボットのように画面に向かい、キーをたたく
「セイカイハドレデスカ」−ピッ−「1バン」−ピッ−「セイカイデス」
この部屋の学習は全て機械的で、考えることを省略させるような教育方針があった


私は2度目の憤りを感じた、これは勉強じゃない、訓練だ


ここの方針は納得のいかないことだらけだったが、目標金額まで達したら辞めようと決め、そして辞めた

ふと不思議がよぎった、あの生徒たちの笑顔はなんだったのだ?
答えに気づくのにしばらくかかったが、同じ目的や境遇の人と居るのって、それだけで楽しかったりするのだ
笑顔を勘違いした私は、またひとつ賢くなった


総勤務期間:約3ヶ月
獲得金額 :約5万円





B:ゆうメイト(年賀状) … 1シーズン

私はとにかく早いとこ単車を手に入れたかった
冬でもいつでもかまわない、とにかく早く欲しかった
だがラーメン屋のバイトだけではなかなか貯金できず、禁断の掛け持ちをすることにした
そこで選んだのがご存知ゆうメイト、正月の赤い妖精
私はこの冬、昼は郵便、夜はラーメンの12時間労働にチャレンジした

郵便配達、白ヤギさんの仕事
読まずに食べられることは滅多にないが、自分を待っている人がいると思うとなんだかワクワクする仕事
それが郵便配達

だが、私のそれは違う
私にとって、郵便配達はタイムアタック
同僚エガとの戦いに尽きる

エガの配達はマッハだ
早くて正確、彼は4シーズン目のベテラン
ルーキーだった私だが、無謀にも彼に挑戦を挑んだ


私の担当地区には、難所が3つあった

1、野間灯台を横切る強風地帯
  師走の野間は、ちょっとした低気圧が来ようものなら台風なみの浜風が吹く
  私は風を耐え耐え、型遅れの自転車を漕いだ

2、少年自然の家、望水荘にそれぞれ続く地獄坂
  自然の家と望水荘は、それぞれ山の上にある
  つまり、この2軒だけのために、私は山を2つも登らなくてはならないのだ
  釈然としないこの事実は、配達中盤の私の疲労を倍増させた

3、奥村ゾーン
  奥村性の家が5軒立ち並ぶ、嫌がらせゾーン
  ここで私は相当の誤配を稼ぎ、たくさんの苦情テレホンを頂戴した


難所をだましだましクリアしつつ、毎日タイムを刻んだが・・・勝てない
職人の仕事ってのは、やはり経験に尽きるなと実感したバイトであった


ところで私から苦情1件
H子さん、郵便物を出すときはきちんとして出してください
名前だけ書いて届くことはまれです
「野間の○○さんって誰か知ってる〜?」と、私は母の名を局中で叫ばれとても恥ずかしかった
穴があったら入ったよ、多分


総勤務期間:約1ヶ月
獲得金額 :約10万円(大学生の場合、かなり割がよい)





C:駐車場係 … 2日

私は当時、機械工学を専攻していた
しかしカリキュラムでは、1年の授業は教養科目しかない
従って、とてもたいくつだった

我々は有意義な時間の捻出の為に共同体を組んだ
出席の代筆、代返、過去問の入手etc…
後に来る専門科目の毎日を考えると、今しかこういう時間を作れないから仕方ない

しかし、こんなぐうたらな生活にもやはり先立つ物が必要である
ヨッ君の様に、毎日100円のフランスパンだけを食べて暮らせるほど私はたくましくない
私は足しげく学生課に通い、割のいいバイトを探していた
丁度教科書購入で懐が寒くなったころ、目に入った求人が駐車場誘導バイトであった

場所は岐阜産業会館、下宿から片道約10キロの場所にある
自転車しか足はなかったが、私は特に気に留めていなかった
それがいけなかった

当日、天気は豪台風
橋の上で飛ばされそうになったりしながらも、我々は現場に行った
契約だ、仕方なし

当然その日のイベント(バザー)は客の入りも散々
我々は建屋の裏の軒下で、凍えながら一日を過ごす
 ― ただ一切は通り過ぎてゆく、そんな風に僕らは過ごしている ―
と、当時読んでいた小説にあったのをよく覚えている

次の日もやはり台風
我々は要領を覚え、私は英語の宿題と、山下君は小説と一日相手をしていた

約束の金をもらい、我々は帰る
いつもの環状線を走り、途中で出来たての牛丼屋に入り、何か食べて帰った

仕事内容といえば、台風を見守るだけだった
とてもとても割りのよかったこのバイトだったが、後に残ったものは5千円だけ
私としては、実のない、なんともさびしいものだった


総勤務期間:2日
獲得金額 :5千円





D:ガソリンスタンド … 1日

これは、私が頭に来て一日で辞めたバイトである

私はそろそろ定期的なバイトが欲しいと考えていた
私は根気よくいつもの学生課に行き、いつものファイルを覗いていた

ある日、新着のガソリンスタンドの求人が目に留まる
そのころ丁度頭文字Dを読みふけっていたため、無性にこれがやりたくなった
早速テレホンしたところ、面接もなくOKをもらった


バイト初日、久々の客商売に私は若干の緊張と喜びを覚えていた
しかし、現場の人間はひどいものだった

 ・いらっしゃいませが言えない
 ・ありがとうございましたが言えない
 ・商品を雑に扱う
 ・客に礼儀がない
 ・殿様商売と勘違いしている
 ・私への注意があまりに私的すぎる(理屈が納得できない)

ラーメン屋で培った、客商売というもののあり方からすべて外れていた
人間的もおかしいと言える場面も多々あった
私はこの方たちと仕事を続けると仕事という物の考え方が不味くなると思い、一日で辞めた

卒業後、久しぶりにそのGSを通りかかると潰れていた
当然だと思った


注)
このガソリンスタンドだけが特殊なだけです
というか、ここの人たちが特殊であっただけです
ガソリンスタンドは安心してご利用下さい


総勤務期間:1日
獲得金額 :3千円





E:ショッピングセンター臨時スタッフ … 2日

岐阜ではジャスコ大型店舗には地名にちなんだ愛称がついている
正木に出来たそれは「マーサ21」
関に出来たものは「マーゴ」(関の孫六からとったらしい)
そんな感じだ

無機質なチェーン店でも、こういった名前がついただけでなぜか身近に感じる
とても不思議である


マーサは近所にあり、ちょくちょく世話になった
特に閉店間際の食料品売り場なんか、そりゃもうありがとうございましたの一言

そんなマーサで特紹会のため臨時スタッフが欲しいと、いつものファイルが嬉しそうに私に伝えた
すわテレホン、即採用
かくして普段の恩返しをすべく、私はマーサへ馳せ参じることとなった


朝8時、店は開いていないがマーサはもう起きていた
私は山下君を引き連れ、いつもと違う入り口から店に入る
いつも来ているお店だが、裏手に回るとこれがどうして現在地がわからない
入り口でそれっぽい仲間を待ち伏せしなかった事を少し後悔する

色々迷ったが、言葉通りの手探りで我々は約束の社員食堂にたどり着けた
そこでは我々のほか数名のエトランゼが退屈そうに担当者の到着を待っていた
よかった、セーフだ

そして程なく担当者はやってきて、ボソボソと何かを我々に伝える
要するとその場のボスに従えと言う、なんともわかりやすい説明だった
そして程なくおそろいのやっつけエプロンを渡され、我々(…)は戦闘態勢となった


私の担当はガラス製品のスタック係、結構客多い
山下君はよく覚えていないが、割とヒマそうな所係
同じ給料で内容ぜんぜん違う…これが会社なのね、と頭をかすめたかは定かではない


このバイトも先の駐車場バイト同様、2日間が過ぎるようにして終わった
ただショッピングセンターの舞台裏を覗けたのは面白かった

イメージとしては「所狭しと並ぶ在庫と資材」といったとこだったが、どうやら違う様子
廊下にはあちこち区切り線が引っ張ってあって、人や台車がきちんと通れるようにしてある
お金を受け取りに行った事務所もこざっぱりとしている
表がきれいなとこは、裏もきれいなの…ね?


我々はバイトが終わると、その足で1階のトイザらスに行き、プラモか何かを見てマーサを後にした
外に出ると、マックのハンバーガーが60円で売っていた
今晩の夕食だと3個買って家に帰る、189円
食欲の秋が迫っていた


(余)
翌日、ヨッ君が嬉しそうにマックの話をする
「昨日は10マックした」

10個で600円は安いと言うが、1食600円は高いんじゃない?
と言おうとしたが、タガが外れてゆくヨッ君を我々は暖かく見守る事に決めた(0.2秒)
おおむね彼は期待を裏切らず、多い日は30マック辺りまで記録したという

その勢いはその後のキャンペーン毎に発生し、我々間で風物詩となった
「ヨッ君10マック?もうそんな季節か…」


総勤務期間:2日
獲得金額 :5千円





F:柿の集配荷 … 1シーズン

私は金銭的な問題で部活を辞めた
(ただ海が見たかったから)
という理由でヨット部に入ったのだが、毎月2万の部費は私に重すぎたのだ

そんな理由で秋の夜長を持て余していた頃、となりのアパートの山下君ちに本を借りに行ってはだらだらしていた
村上○樹から始まり、初めて名前を聞く外国の人の本をよく紹介してもらった
ついでにそれに合うジャズなんかも教えてもらっていた
その所為か、私はジャズを聴くとあの頃の六畳一間が自然に脳内を駆け巡る


そんないつものある日、山下君がアルバイトを始めた
聞けば、「ノムさんの紹介で柿を始めた」とのこと
仕事内容は、週6、18:00〜21:00、@1000円
柿の詰まったコンテナを、集荷場から選果場にトラックで運ぶというもの
地元名産にちなんだことと時給の良さに、さっそく私も飛びついた

初日、出発前になって作業用となる防寒着を持っていなかった事に気づく
仕方なしに隣部屋の農家の倅に黄緑色のパーカーを借りる
寒さ凌げればそれでいいと一瞬でそれを身にまとい、私は農協に走った
これがいけなかった

現場ではなぜか皆ニックネームだった
ノムさんは迷彩色ズボンをはいていたため、「自衛隊」
山下君は運ちゃんの家の犬と同じ名だったため、同じ呼び名の「サム」
そして私は、パーカーの背中にでかでかと書かれていた文字「イセキ」…

かくして、自衛隊・サム・イセキによる本格的肉体労働が始まった



トラックの運ちゃんは元ヤン、元ヤーの人だ
しかし昔そうであっただけで、仕事はとても真面目であった
我々バイトの面倒見もよく、集荷が終わると皆に自販機で一服をご馳走してくれたりもした

私はこういった人たちと仕事をするのは初めてだったが、その働く姿を見て目が覚めた
少なからず、いままで私は偏見を持っていたからだ
たとえ過去がそうであっても、見るべき時は今である


そんな頼りになる運ちゃんと我々バイト軍団は、毎日毎日柿を運び続けた
集荷場には集まる柿いっぱいコンテナは一つ20〜30kgあり、運動不足だったサムとイセキはすぐ腰痛を発生させた
あの時巻いた腰痛ベルトの心地よさは、今でもよく覚えている


慣れ始めてきたある日、私は恐れていた失敗をこいてしまう
高い所に積まれたコンテナを落っことしてしまったのだ
刹那山吹色の柿が見事に舞うが、美しいと思う暇なく地面にボトボトと落っこちた

落ちたものは当然商品にはならない
私はバイト代没収を覚悟した

しかし運ちゃんは
「やってしまったものは仕方ない、次はするんじゃないぞ」
と私を諌め、柿を拾い集めた
ひっくり返ったコンテナの分は、沢山あるコンテナから一つずつ失敬してでっち上げた

私はその一言がとても嬉しかった
慰めてくれた上にチャンスまでくれた事に…
私は絶対に同じこと失敗をしないことを誓った――自身の名誉にかけても

キズものになってしまった柿は、その日のみんなのお土産になった
訳を話すと、みんな笑ってくれた
とても嬉しかった


12月の初頭、いつものコンテナをパレットに載せ終え我々は解散した
最終日ということで、内緒で柿狩りを行った
コンテナから一個ずつ失敬すると、瞬く間に白いビニール袋がはじけそうになった
私は岐阜で元気に暮らしている証拠に、これを実家に送った

「旨いよ」と電話がくる
当然だ、その柿には岐阜の農家の愛がたくさん詰まっている


総勤務期間:2ヶ月半
獲得金額 :約25万円





G:コンビニ店員


コンビニバイトでの思い出は多い
そこで起きたことも、そこから始まった事も
だから私にとって筆舌には足りない

今日紹介するのは、その一部である
残りの分は、私が寝込んだときにでもまじめに紹介しようと思う



私はマーサ帰り、コンビニにあった求人張紙に激しく反応していた
友人から、コンビニバイトでは期限切れの弁当をもらえると聞いていたいたからだ

何かを得るためには、何かを失う
バイクを手に入れたゆえ、家計の大半をそれで失っていた私は、食費を削って凌いでいた
味噌汁を作ろうとして味噌が切れ、水汁とご飯で我慢したこともあった
自業自得なのはわかっていたけど、仕方なかった
そんなわけで、私はコンビニ店員になった


コンビニでの仕事内容を一言で言えば「暇」だ
ぐうたらなバイトでも、一日レジでボーっとしてればそれで足りる(もちろんクビになるが)
だがラーメン屋仕込みの私にはそれは苦痛であったため、なんやかやと仕事を見つけてはコソコソ動いていた

そこまで動いても、要領を覚えると暇な時間ができる
そんな時はバイト同士、日々を語らったりするのだ
そのうち私はその時間がとても楽しみになり、いかに仕事を早く片付けるか色々試行錯誤した

そんな楽しみな時間が始まろうとしていたある日、オーナーが友人親子を連れてやってきた
子供は片手になにやらノートを持っている
「なあ、この子数学の宿題で分からんとこあるんやと。教えてやってくれん?」
コンビニと家庭教師(無料)が合体した、なんとも不思議なお店が出来上がった

「いらっしゃいませ!」という言葉の脇で、「そのxの求め方は…」という言葉が聞こえる
そんな他にはない風景が、私はとても好きだった
昔よく行った近所の商店に、風景がとても似ていたからだ
古き良き、暖かい空気がそこにはあった

その後もその子はちょくちょくやって来ては、サブカウンターで私の授業を受けていた
(その後その子んちと家庭教師の個人契約を結ぶことになり、専業化した)


急いでけった漕いでたら前輪に足を突っ込み、血まみれで行った日があった
客に惚れられてしまい、のらりくらりとかわした日々があった
インネンつけられて、切れそうになった日が(よく)あった
まだまだ思い出すといろんな出来事が思い出される


だから、またこんど





H:家庭教師

世の中には教育熱心すぎる親御さんがいる
中にはこんな家もある
(自分は頭良くなくていい学校行けなかったから、この子は…)
(何某さんちの子には負けたくないから…)
(遊んでばっかはバカになるから…)

私が家庭教師をした子は、そんな事情の家の子だった


そこの家では母親は絶対である
誰も逆らえない
母親が行けといわれた習い事で、その子は毎日がんじがらめだった

そんな日々になぜ私が呼ばれたか不思議だったが、教えるにつれだんだん分かってきた
どうやら母親が学校の勉強について行けず、子供を指導できなくなったかららしい
悲しいかな、その子には家が休み場では無い気がした


ある日母親が不在で父親が出てきたことがあった
腰の低い、物静かな男だった
その日、その子は違う表情を見せていた
穏やかで、誰かに守られている安心がその顔から見てとれた


宿題を教えながら私は考えていた
この子は幸せなのだろうか
幸せかどうか考えているだろうか


その時は言えなかったが、今出会っていたならこう言いたい
「今、あなたの未来は、あなたのためにあるのですよ」、と
しゃらくさいかな


家庭教師は長く続かなかった
店で教えていた時はいい雰囲気で教えることができたのだが、家では上手くいかなかった
要はクビになったのだ


今までで一番悔しいバイトは、こうしてあっさり終わった


総勤務期間:約3ヶ月
獲得金額 :約5万円





I:図書館カウンター係

3年生になると学生実験や専門科目のレポート責めが始まり、日々の自由時間はだんだん減って行った
切る科目と取る科目を決めてなんとか凌いでいたりもしたが、それもあっと言う間に限界が来た
やむなく私はコンビニバイトを辞めることにした

収入が減りどうしたものか困っていた所、山下君が話を持ってきた
「図書館バイトをやらないか?」
困ったときの山下様である、そのとき私の目には彼に後光が見えた
私は二つ返事で引き受け、新しいバイトライフが始まった


図書館バイトは、暇である
カウンターに座って貸出・返却の手続き、それと返本くらいしか仕事が無い
それに静かである事が図書館であるため、「いらっしゃいませ」はいらない

カウンターでせっせとレポートを書き、利用者が来たらカウンター業をする
お金と時間を一挙に稼げる、とてもとてもありがたいバイトであった


そんな大学の図書館で、私は半地下にある集密書庫が好きだった
そこには古い本がン万冊と貯蔵されていて、古い紙の臭いがプンプンする所だった
レポートに詰まると、そこに行っては用も無くウロウロしていた

何度も何度もそこに通った私は、その後同じ臭いを嗅ぐたびその頃へトリップできるようになった
あの臭いは、ある程度を過ぎると麻薬だなあと思った


日々は2年の時を流した
負の出来事が多かった大学後半戦だったが、ここのお陰で留年することも無く卒業を迎えた

たまにあの日の集密書庫に戻りたくなる日がある
そんな日は手持ちの古本を嗅いでみたりする
残念ながら、臭いも時間もそこにはない
あるのは過去にすがろうとした自分だけだったりする


総勤務期間:約2年
獲得金額 :約80万円





当時、私は世間知らずだという自覚が強くあった
中卒・高卒で就職していく友人と会うたび、それをつくづく感じていた
毎日汗まみれで貰う給料、毎日客に謝ってもらう給料、複雑な表情と共に友は私に語る
しかし当時の私には、その尊さにあまり実感が湧かなかった
とても悔しかった

私が何もせず、大学でのお勉強だけで社会に出たら…という事を考えるのが怖かった
「私の貰っているお金は、果たして胸の張れるお金なのか?」
と聞かれ、答えが言えないままに給料を貰うのが嫌だったからだ

だからこう考えた
私の居るところは戦場や裏の世界ではない、お金はお金と割り切る必要は無い
大学時代というのは、お金の意義を確かめる場所にしよう、と

私は色々とバイトをした
割のいいとこだけ渡れば金作には困らなかったが、あえてそうしなかった
おかげで貴重な経験がたくさん出来、さっきの問いにも自分なりの答えを持つことが出来た


バイトも考えなければただの金作である
もしそう割り切っている人がいたら、ちょっとだけこの記事を思い出して欲しい
もしかしたら今、お金以上の物を得る事が出来るかもしれないということを





もどる