treasure hunting

大学1年、まだバイクが買えなかった頃
僕は初代はるかぜ号で岐阜を走り回っていた

そんなある夜、隣人のテツオと火事の野次馬に行った帰り、僕らは迷子になった
かたや三河人、こなた野間人、そして不慣れな岐阜市のはずれ
北極星が見えたところでどうとなる、日の出までの放浪をふたりは覚悟していた


しばらくさまよっていると、我々は遠くに炎を上げる昇り窯を発見した
深夜2時過ぎ、好奇心だけで毎日を過ごす我らにとってそれは神々しい光に見えた
用心深くその場を訪ねれば、そこには一人の壮年の男がいい感じに出来上がっていた

訳を話すと、彼は我々を快く迎え入れてくれた
部屋に一歩踏み入れると、男の城といった雰囲気の私好みの部屋が広がっていた
土間のアトリエに、中学校の技術室のような机がいくつも並ぶ
そして壁には理科室の標本棚のような建具に、アルバムやら器やらが誇らしげにならんでいた


僕は勇気を出してその男(よっぱらいとも言う)に、棚の誇らしげたちについて聞いてみた
そうすると、とても嬉しそうに答えてくれた

彼曰く、自分は人間国宝で、作った器はどれもン百万のものと言う
そして付け加えてこうも言った

「人を感動させようと思ったら、先ず自分が感動しなくちゃ
 自分で面白くないものは、だれも面白いと思わないよ
 だから俺はこうして毎日国宝を作って感動してるのさ」

初めはくすんだ色に見えた器たちが、急に輝いて見え出した
それは登り窯の炎と同じくらい明るく見えた


夜が明け、僕らは男に十分お礼を言って帰った
日が上がった下の景色は見慣れたもので、その場は下宿から20キロくらいのところとすぐに分かった

テツオはこの時の事を、よっぱらいといい感じに出来上がってしまっいて残念ながら覚えていない
だが私は覚えている
川沿いのほったて小屋の、燃え上がるような国宝のことを


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