we cannot forget Ms. Kyoko

さんぽ道、ひまわりを見つけた
昔のことを思い出した

新美先生、小学校2年の時の担任
先生は病弱だった
いつも給食のときは自分だけ玄米のおむすびと漬物だけ
そして食後にはいつも血液検査をしてた
クラスのみんなは子供ながらに先生の体をとても心配してた

先生は本名が嫌いらしく、いつも「響子」の名で通してた
病に冒されている自分の体と同じ名は語りたくなかったのかもしれない

7月、クラスのみんなでひまわりの種を植えた
先生はひとつ余分に植えた
ひとつは生徒の脇に、ひとつは自分用に
並ぶ子供たちと一緒の自分と、ひとりになったときの自分
「響子」と「ふじ江」の姿を映してたに違いない

8月、僕らの花壇は、黄色い、まるい、おおきな花でいっぱいになった
毎日一生懸命に世話をした努力が実ったのだ

9月が来て花は大粒の種になり、次の生命を生んで枯れていった
その中で先生の自分用だけは一向に芽を出さなかった
生徒と一緒のものは元気だったのに――

だけど先生はあきらめなかった
土を変え、水をやり、十分に日にあてた

12月、雪の降らない僕らの町にもそれなりの冬がやってきた
クラスのみんなは、やっと芽を出した先生のはちに毎日釘づけだった
そして冬休み前、先生の花はなんだか申し訳なさそうに咲いた
小さくても黄色く、まるい花をつけた
冬の朝、僕らは先生の目から溢れる大粒の涙と小粒のひまわりにただただ感動するだけだった

それから数年、先生は30代の若さでこの世を去った
あの忘れられない小さなひまわりを残して


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